田中社長のバイトの思い出話
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第1回「ヤクルトの配達」
第2回「花屋さん」
第3回「カメラ屋さん」
第4回「八百屋さん」
第5回「 パーティー会場のウエイター編」
第6回 「内装工事のバイト」
第7回「内装工事のバイト その2」
第8回「自然学校の指導員 その1」
第9回「自然学校の指導員 その2」
第10回「その他のバイト体験」

こんにちは、田中です。私は、現在「田中倉庫」の社長をやっていますが、若い頃にはいろんなバイトをやってきました。きついバイトもあり、時給5000円・食事つきといったおいしいバイトも体験しましたが、そこで体験したこと、接した人々に影響を受けたことがいろんな意味で今の「肥やし」になっています。そんな体験談を若い皆さんにお伝えすることで「仕事ってオモロイねんで!」って伝われば幸いです。




第1回「ヤクルトの配達」
さて、第一回は、「ヤクルト配達」です。
私が初めて体験した仕事は「ヤクルト配達」です。
私の母は私が物心ついた頃から、朝4時に起きてヤクルトの配達をしていました。今風に言うと「早朝デリバリースタッフ」とか「ヤクルトレディ」というのでしょうが、そんな格好のいい物でなく当時は「ヤクルトのおばちゃん」と呼ばれてました。


雨の日も、雪の日も休むことなく一軒一軒自転車での配達。母が毎朝そんなことをしているなんて子供だった私は何も知りませんでした。ただ、家の冷蔵庫には、いつも「ヤクルト」がたくさん入っていて毎日たくさん飲んでいましので、今でも胃腸は丈夫です。中学になって冬休みトレーニングをかねて母を手伝うことにしました。


「寒い」「眠い」「きつい」そんな言葉がぴったりですが、母は黙々と配り私もそれに従いました。ものすごく、大変な仕事だと思いました。「ヤクルトおばちゃん」は当時は皆個人事業主でヤクルトから商品を購入してそれを売ることで利益を得ていましたので、皆、営業マン兼配達員でした。
今でこそ佐川急便が「セールスドライバー」というキャッチで売っていますが、30年以上前の「ヤクルトのおばちゃん」のほうが元祖なんですね。ちなみに私の母は500件の顧客を抱えるNO.1セールスマンだったようです。500件を一軒一軒飛込みで開拓する...そんな才能とパワーが母にあったのだ。いつも夜になるとソファーでだらしなく居眠りをする母でしたが、それからは、母を見る目が変わりました。


「俺ももっとがんばらなアカン」


...そんなことを思い出させるアルバイト回想でした。

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第2回「花屋さん」
「花屋さん」といえば女の子が一度はやってみたい職業だと思いますが、私の体験した「花屋さん」はだいぶ様子が違っていました。


高校一年の冬休みでした。友人から「12月31日までのバイトやけど、やるか?」バイト初体験の私はふたつ返事でOKしました。仕事内容も、場所も知らず、ただ


「6日間で4万円位になるな」
「モーリスのギター買えるな?」(当時アリスの堀内孝雄が使ってた)


などと仕事をする前から計算だけしていました。
初日、バイトのおじさんに車で拾ってもらい、着いたのはダイエー川西店でした。場所は店舗前で切花、鉢植え、盆栽等を売るのが仕事でした。


「おにいちゃん、3000円ぐらいで適当に包んでや!」


とか


「この鉢もう少しまけてーな!」
「盆栽、これとこれどっちがええ」......
 ・・・ちょっと待ってや!
 ・・・俺は単なるバイトや!
 ・・・高一や!そんなもん知るか!
連れの友人ははそう思ったそうです。私は、いかにももう何年もやってますよという振りをしてあしらいました。そんなやり取りを店長?親方?は評価してくれたのか、私にはやさしく、次々と新しいノウハウを教えてくれました。お客さんからみれば、若い兄ちゃんも、古い親方も「花屋さん」は「花屋さん」なんですよね。
経験がないとかじゃない、「やる気」、「真剣」、「ひたむきさ」そんなものが、物を売る条件かな?そんなことを思います。


バイト最終日には店長から「バイト代」と「抱えきれないほどの花」をもらい除夜の鐘を聞きながら家路に着きました。


あれから22年、初バイトで買った「モーリスのギター」は今でも家の片隅にあり、時々思い出したように弾いています。

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第3回「カメラ屋さん」
できの悪かった私は大学入試にすべて失敗し、一年だけならという約束で予備校に通うことにしました。しかし、勉強に専念しないといけないときに、グリコ・森永事件が起こり、私自身お金を稼がなくてはいけなくなりました。


というのも父はグリコの社員であり、毒入りチョコ騒動で会社事態が危うくなってきていました。(実際はわりと短期で収拾しましたが)そこで母(ヤクルトおばさん)の紹介で、午前中予備校に通いながら、午後から「カメラ屋さん」でアルバイトすることになりました。


その店のオーナーは仕事に厳しくかつ前向きな方でした。1度目の失敗は許して、丁寧に教えてくれますが、2度も同じ過ちをするとめちゃくちゃに怒られました。でも、その怒り方・真剣さに商売人のすごさを学ぶことができました。


商品の並べ方はどうか、どうしたら売れるのか、お客様への対応は?無駄を省く、社員・アルバイトへの気遣い等々...。常に横について見ていましたので、後々大変参考になりました。
たまには、お見合い写真の撮影助手として同行しましたが、「それなりの人」を「かなりの人」に変える技術にはびっくりしました。まあそれがプロたる所以なんでしょうけど。


そんなこんなで大学にも合格し、ある日、オーナーが食事に連れて行ってくれました。「ケルン」というドイツ料理のお店でした。初めてワインというものを飲み、スナックでカラオケ(安全地帯の「ワインレッドの心」だったかなあ)をさせてもらいました。


単なるバイトだったのですが、オーナーにはものすごくよくしてもらいました。それからいろんなバイトをしましたが、なぜかその後、社長や店主に気に入られ飲みに連れて行ってもらうようになるのは、単なる偶然でしょうか?


その後、震災で店舗を移転されたようですが、オーナー様お元気ですか?


私も今同じ土俵でがんばっています!!
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第4回「八百屋さん」

こんにちは!社長の田中です。第4回は「八百屋さん」です。
何とか浪人1年目で大学に合格し、暇にしていた春休みに、兄から「連れが病気でバイト行けないので代わりにしばらくいったってくれへんか?」と言われ断る理由もなく了解しました。

行った先がなんと八百屋で、いきなりエプロンつけて頭にねじり鉢巻(着けたように記憶!?)で

 「へいっ いらっしゃい 安いよ! 奥さん!」

なんて感じで八百屋の兄ちゃんやりました。

中華料理店にバイクで配達に行ったり、店でねずみに噛み付かれたり、おかまのお得意さんが来たりといろいろありましたが店の大将と奥さん、それとアルバイトの人たちがすごく感じの良い人達で、短い間でしたがとても楽しかったです。

あとで知りましたが、この店は大将の大学の後輩たちでバイトのローテーションを組んでいて毎年先輩が後輩を紹介する形で長年運営しており、紹介なので確実に良いバイトが揃うというシステムになっているのでした。
 (うちの現場にもこういうシステムがあったらなあと思います)

バイト終了の日に大将に本場の中華料理をご馳走になり、生まれて初めて「かえる」を口にしました。
とても美味しかったのを覚えています。そのあと、「SONE」というジャズバー(あとから知りましたが神戸では超有名)に連れて行ってもらい大人の雰囲気を感じさせてもらいました。10日間ほどでしたが印象に残るアルバイトでした。

その後、神戸の震災でお店が全壊したよですが、元気に立ち直っておられるようです。

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第5回「 パーティー会場のウエイター編」

こんにちは。社長の田中です。やっと梅雨明けで寸ね。ギラギラとした夏の到来です。
「バイト体験談第5回」は「パーティー会場のウエイター編です」


大学に入り、アルバイトを探していたとき、高校時代の友人から「パーティーのウエイターやらんか?」と誘われました。


詳しく聞くと

1.日払いで現金がもらえる!
2.コンパニオンのきれいなおねえさんがたくさんいる!
3.余ったお酒や食べ物がいただける!


これまたふたつ返事でOKしました。


初めて行った場所は江坂近くの一流会社(ミノル○?)の支店開設の披露パーティーでした。

私の仕事は水割り等を作りトレーに載せて配り歩くことでした。実は時々喫茶店でアルバイトしてましたので、割と接客には自信があり会場の雰囲気を知る余裕もありました。


・ちょっとだけ偉い人はすぐにあれ持ってこいとか、言って威張っている。うるさい。
・少しえらい人は態度と雰囲気、行動でわかる
・本当に偉い人は人格者だ。人の話を自然体で聞ける。


3時間ほどでしたが、良い体験ができました。


ちなみに、表面はどんなにきれいでも裏側はあきれるほど汚かったですね。

コンパニオンのお姉さんたちは控え室ではタバコぷかぷか、ごみはポイポイ捨てるわで醜いものに見えました。

当時19歳の純情な私には少なくともそう見えましたし、大人の魅力を感じませんでした。


割の良いアルバイトでしたが、自分には合わない気がして何回かでやめました。


次回は「内装工事のバイト」です。

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第6回「内装工事のバイト」


こんにちは、田中です。
暑いですが皆さん頑張っていますか?
今回は「内装工事のバイト」です。


内装工事といっても、皆さんどんなものか想像つきますか?
クロス張り、配線・電気工事、サッシ業者、床工事...などいろいろありますが私が行っていたのは内装工事でももっと規模が大きく主に体育館の床工事でした。

皆さん、体育館の床がどうやってできていくか知ってますか?
コンクリートの床の上に、先にクッションゴム付きの足(4本)の付いた机のような物を敷き詰めてレベルを合わせ(水平になるように調節)ベニヤ板を張り、その上に木目調の床を張っていきヤスリをかけ、ニスのようなものを塗ります。大まかに言うとこんな感じです。


このゴムが特殊なもので兵庫県ではその一社の独占市場だったらしく工事範囲は南は淡路島から北は日本海までとかなり広かったです。ゆえに朝が早くだいたい朝6時30分集合でした。


仕事は、きつく特に「搬入」といってベニヤ板等の資材をトラックから室内に運び込む日は午前中いっぱい一畳の大きさのベニヤ板を運びまくっていました。夏の暑い日は特に大変でした。終わってTシャツを絞ると汗が地面にこぼれ落ちました。
でも変に気を使うことなく、体を動かすことの好きだった私にはあったバイトで徐々にバイト幹部に昇格していくのでした。


入った経緯、こぼれ話については次回書きたいと思います。

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第7回「内装工事のバイト(その2)」

 

 こんにちは、田中です。  
 今回は「内装工事のバイト(その2)」です。

 この会社は社長と社員2名のこじんまりとした会社でしたが、それなりに 風通しの良い会社でバイトのわたしたちも気楽に心地よく仕事をすること ができました。このバイトに入ったきっかけは尊敬していた先輩に強引に 引っ張られる形で連れてこられました。

 そんな中でのエピソードをいくつかあげてみました。

<エピソード その1「現物支給」>

 社長 「田中君、明日急やけど、3人ほど何とかならんか?」

 田中 「山田君と森山君あと中村君でいいですか?」

 社長 「中村君はやめといて、あいつ口は動くけど体が動かん」
 
 といった具合でアルバイトの人員調達してました。

 その報酬は時々居酒屋で食べ放題・飲み放題という現物支給で支払われました。

<エピソード その2「すまんけど残業...」>

 社長 「田中君らすまんけど今日残業してくれるか」

 田中他「はい...(無言)」

 ここは兵庫県の山奥の体育館工事現場。社長の車に同乗して来てるのにどうやって帰るねん?電車も無いのに...。

 結局、夜の12時に終了。次の日は朝6時集合。きつーっ!

 でも、中間業者は工期を守らないといけません。言い訳できません。仕事の厳しさが良くわかりました。

<エピソード その3「出張」>

 社長 「田中君、来週一週間淡路島の現場に出張行ってくれるか?」

 田中 「授業ありますけど」
  
 社長 「頼むわ?他におらんねん、頼む!」

 田中 「わかりました。でも今回だけですよ」

 今回だけと言いながらその後結構行きました。頼みごとに弱いのは今も変 わらない性格です。

<エピソード その4「いろんな人」>

 社長 「あそこで資材運んでるおっさんおるやろ」

 田中 「はい」

 社長 「前なあ、大手会社のえらいさんやったんやで」

 田中 「えー。何でこんなとこにいるんですか」

 社長 「人生いろいろあるんや、汚職らしいで。いろんな人がおるんや」

 世の中にはいろんな側面・裏側あることを少しだけ知りました。


 人間味のある人できつくても社員やバイトが自然と着いてくるそんな社長でした。今でも思い出すと懐かしく会いたくなります。

 木下商店の社長、どうしておられますか?


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第8回「自然学校の指導員(その1)」

 

こんにちは、田中です。

今回は「自然学校の指導員 その1」です。

 

皆さん、「自然学校」ってご存知ですか?


昭和63年に私の住んでいた兵庫県では文部科学省(当時は文部省)の試験的な試みとして小学校5年生を5泊6日間自然のなかで生活体験させるといったことが初めて行われることになりました。

(自然学校の詳細は http://www.nhao.go.jp/~shizen/sizengakkou.html)


当時、私は大学生でYMCAでキャンプリーダーをしていた関係で、3つの小学校へ計3週間派遣されました。初めは先生方の補助をすると思っていたのですが、よく聞くと先生方は組合の規則の関係で最大2泊しか同行できずほぼ6日間大学生の私達が各クラスを運営することになりました。

先生方も初めての試みで何をしてよいのやら分からず企画の段階から、ほぼフルで参加し先生方とミーティングを重ねました。

その中には私の恩師の先生もおりました。2人で40人ほどの子供達を6日間預かることになり、いよいよ当日を迎えました。


さて、さて続きは次回に。


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第9回「自然学校の指導員(その2)」

こんにちは、田中です。

今回は「自然学校の指導員(その2)」です。

 

さて、6日間40人の子供達を預かることになり、当日を迎えました。

キャンプ場へ向かうバスの中では、私の知っているありとあらゆるゲームをしたり歌を歌ったりして子供達の心をつかみキャンプ場へつく頃にはすっかり打ち解けていました。

当時は今ほどアウトドアというものが普及していなくて、子供達は火を起こしてご飯を炊くということをほとんど知らず、夢中でで自分達で作ったカレーライスを何倍も美味しいとお代わりをしてました。

期間中に、魚釣り、オリエンテーリング、スタンツ大会(寸劇・出し物)、肝試し、天体観測、野草観察ツアー、キャンプファイヤー等々を行い、どれも普段学校や家庭では行ったことがなく大反響でした。


キャンプの良さ・楽しさを子供達に知ってもらおうと思って、3つの小学校へ計3週間参加しましたが、どこへ行っても大歓迎され気持ちの良い、やりがいのあったバイト(?)でした。

 

今でも、目をキラキラと輝かせながら「先生!先生!」と駆け寄ってくる子供達の姿が忘れられません。
その後、自宅に子供達が遊びに来ててくれたり、学校へ遊びに行ったりと交流が長く続きました。


この出来事が私の将来を大きく左右する出来事でした。


人に喜んでもらえる仕事にやりがいと快感を覚えた私はそのままYMCAに就職させてもらうことことになり、その後運命的な出会いをすることになるのでした。

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第10回「その他のバイト体験」(最終回)


こんにちは。社長の田中です。

「バイトの体験談」も早いもので、今回で10回目となりました。今回は今までに紹介できなかった体験アルバイトを短く紹介します。

 


1.ママさんバレーのコーチ

  週一回3時間ほどお姉さま方?と汗を流しました。公民館での忘年会とか楽しかったです。
   

2.家庭教師

  かなりやんちゃな高3生を教えていました。喧嘩っ早くいつも生傷の絶えない顔をしていましたが見かけによらず人懐っこく素直な子でした。何とか大学に入れました。どうしてるのかな?

3.就職セミナーのさくら

  合同就職セミナー(OMMビル)に行くだけで5000円もらいました。今では考えられませんが...。

4.看護学校の体育の授業

  同い年位の女の子ばかりで少しどきどきしました。

5.送迎バスの場所取り

  御堂筋でパイプ椅子に1日中座ってました。(ちなみに日給7000円でした)

 


様々なバイト体験を通して感じたことは、

     ◎一度やってみないと良し悪しは絶対にわからない。

     ◎高い安いでなくその仕事を通じて自分の身になることがあったかどうかが大事。

     ◎「石の上にも3年」ではないがその仕事の中身がある程度わかるまでは続けること。

                             等などです。

 

「田中社長のバイト体験」を10回にわたりお送りしてきましたが、今回で終了させていただきます。


次回は、変わったアルバイト(私の体験したことではありませんが)を紹介します。

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